Chopsta
Yuki's eye

This Chopsta uses modern AI technology to capture famous scenes and legends that cannot be recreated in music and videos from the past, making it possible to co-star in dreams that were once impossible. . We aim to create a channel that cuts out fragments of history and becomes a utopia with the aim of rebuilding and making a comeback of memorable classic rock. I hope that some viewers can relate to this based on their own experiences.

by yuki

投稿記事前後逆になっていました!まだ頭が起きてくれていなかった!2024.4.20 11:48

The Last Leif 2024.4.19 21:12

昨日ほぼ眠った状態で書いたので少し修正!2013年にリリースされたBlackmore's Nightのアルバム「Dancer and the Moon」に収録された一曲「The Last Leif」 Blackmore's Nightのメンバーでもあり Ritchie Blackmore氏の妻でもあるCandice Nightにショパスタがピアノアレンジして送りアップロードの許諾を受けてた作品!(ピアノの他にまいさんの歌唱(アカペラやピアノ伴奏ギター伴奏がある)

ショパスタが書く詳細な日記によって、この曲に拘る理由が判るような気がした!2013年はショパスタの母が亡くなった年である!

全文は記載できないが少し記載する(固有名詞は伏せる)

「朝母に朝食を買って病院に行った ほとんど食べられないのは判っていた!母に食べられるか?聞くと「お稲荷さんをいっちょ」といって少したべてくれた! ヨーグルトは?ときいたら少し食べてくれた!でもこれが最後になった。帰るとき、病院の窓からず~と座ってみていていくれた! なんとなく最後のような気がした。

叔母が迎えにきてくれて駅まで送ってくれた!また戻りたくなったがそれはしなかった。18日にはまたくるからねといった。 そのときはまた外出しようねと伝えた。母はもうよかよって云って、大変だからいいよといった。

娘の演奏映像を、起き上がれないのに必死になってベッドの中で横になり、格子をつかんで食い入るようにみていた。叔母にもみせるよういったので叔母に見せたとき、母は横で座って笑ってくれた。 そのままず~と座っていた。これで食べていけるようになるだろうか?と聞くので!大丈夫!と答えたら、母はそうかと云って喜んでくれた。この言葉が最後になった。

帰りたくなかったが準備してきたものが尽きてしまい、東京で準備しないとこちらでは不可能。先生(名前で記載されいる)と一緒にやってる仕事は、誰もやってはくれないし、 遅れると労力が数倍になってかえってくる。向こうで一ヶ月分くらいの準備をしてくればと思ってる。そうすれば母が亡くなるまでそばに居てあげられるはずだから。 母がなくなれば誰もいない!できれば最後まで隣にいてあげたいと思う。帰ってから大急ぎで取り掛かれば1週間で準備ができて引き返せるはず。会社の仕事はこの際どうでもいい。

これ以前もそしてその後約10年もの間すべてを継続しつづける中でショパスタ自身に気がついていたのかもしれない!The Last Leifはショパスタ自身ではないか!

歌詞の内容はオー・ヘンリーの有名な短編をリスペクトして書かれたものだ! 一言では書けないがあえて一言で解釈するならこの歌は「その葉は、季節の移り変わりや変化に対する恐れと戦いながら生きている象徴的な存在」自然界のサイクルや人生の移り変わりについてのメタファーとなる! ショパスタそのものではないか!

時代や環境によって周囲が変化していくことに"納得"できない自分自身! 最後の一葉が自然の周期や人生の移り変わりに対する恐れから自身の世界観にしがみついている様子、海の上のピアニストで 描かれた自閉の世界観である!

ショパスタは大切にするものに対する"自身"の心の変化を恐れる!私に「人は変わるもの首尾一貫は小人の証」とある人が云った! ショパスタの事を揶揄したのだろうが、はたしてそうだろうか?私個人は貫く人は信頼するが心変わりをする人に対しては信頼に値しないと考えるタイプなので!

日記の最後に「小さいころからお金は無かったが全ての自由と全てのワガママをゆるしその責任を背負って生きてくれた母」とつづられている


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