「本物の音楽」が持つ“繋がり”や“物語”を毎日コラム配信

TAP the POP

新着

TAP the SCENE

フラッシュダンス〜ジョルジオ・モロダーと80年代MTV/サントラブームの幕開け

『フラッシュダンス』(FLASHDANCE/1983) ポップカルチャーの足跡を振り返る時、1983年はとても興味深いことに気づく。日本/東京では、その年にディ…

TAP the CHART

1984年はジャンプしたりフットルースしていると突然“紫色の雨”が降ってきた

「TAP the CHART」第2回/1984年 まずはシングルとアルバムのビルボード年間チャートTOP 10から。 【1984年のBillboard年間チャー…

Extra便

高田渡の『イキテル・ソング』──父の歌をうたうことへの想い 高田漣インタビュー 後編

高田渡の没後10年を機に、あらためて彼の魅力に触れるトリビュート特集。マルチ弦楽器奏者として活躍する高田漣のロング・インタビュー後編は、彼が初めてギターを持った…

Extra便

高田渡の『イキテル・ソング』──トリビュート企画を手がけた、高田漣インタビュー 前編

フォークシンガー、高田渡がこの世を去って10年以上の月日が経った。この間に、世の中は大きく動いたが、高田渡の歌は今も普遍的に響くどころか、より一層と強いメッセー…

TAP the CHART

1983年は『スリラー』と「見つめていたい」が大ヒットしてマドンナがデビューした

「TAP the CHART」第1回/1983年 まずはシングルとアルバムのビルボード年間チャートTOP 10から。 【1983年のBillboard年間チャー…

Extra便

ピート・シーガーを訪ねた18歳の高田渡に本人から渡された最前列のチケット

16歳の時に兄の影響でアメリカのフォークソングに出会い、そのメロディの明るさやリズムの心地よさに魅入られた高田渡は、アメリカのフォークソングの第一人者だったピー…

TAP the SONG

自衛隊への勧誘キャンペーン・ソングと誤解された高田渡の反戦歌「自衛隊に入ろう」

1968年8月9日〜11日、京都の山崎にある「宝積寺」では3日間に渡って「第3回関西フォーク・キャンプ」が開かれ、約300名の参加者が集まった。 出演したのは高…

Extra便

高田渡が“酒仙歌手”になったのは、井上陽水のすまき事件がきっかけだった?──トリビュート・ライブ“Just Folks”

井上陽水が高田渡を布団ですまきにしたことがある、そんな話が2005年4月29日のスポーツ新聞の記事に出ていた。 心不全のため16日に亡くなったフォーク歌手、高田…

TAP the DAY

ギター教室の生徒だった高田渡が灰田勝彦から教わった”歌を自分のものにする方法”

大好きなフォーク・シンガーのピート・シーガーを目標にして歌手になる決意を固めた高田渡が、「日本人として、日本語の表現を突き進む」と日記に書いたのは17歳の時だっ…

TAP the SONG

「お願いだ聞いておくれ」と高田渡が訴えた、鉱夫たちの“声なき叫び”

「鉱夫の祈り」を聞いたのは1972年の夏だったか、あるいは73年だったのか、いずれにしてもアルバム『系図』が出てから、そんなに時間が経っていない頃のことだった。…

TAP the LIVE

全日本フォークジャンボリーのステージで「銭がなけりゃ」を歌った高田渡

日本初の野外フェスティバルとして語り継がれる全日本フォークジャンボリー(通称:中津川フォークジャンボリー)が開催されたのは、1969年の8月9日のことだった。 …

TAP the STORY

高田渡の27歳~アメリカでの初レコーディング、ソロから再びバンドへ~

1972年、大瀧詠一のレコーディングしているスタジオへ高田渡が遊びに来たことがあった。 2人がアメリカのルーツ・ミュージックについて話し合っていると、それを聞い…

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